入学式が終わった。心地良い緊張感とフレッシュさのみなぎるいい式だったと思う。いつも来賓の皆さんの感想がバロメーターになっている。「この学校の入学式、卒業式で本物の感動をもらいます」「卒業式には来賓全員が泣いたけど、今日は元気をもらった」「こんな感動を毎年味わえるなら、やっぱり教師という職業が一番いいね」などなどの感想に身びいき分を差し引いてもうれしさは格別だった。
今年の新入生の入場行進曲は、ミスターチルドレンの「paddle(パドル)」だった。新曲だというがもちろん私は知らなかった。歌詞も「未来へと手を突き出して」「明日へとパドリング」「きっとうまくやれる」「行こうぜ」「新しい希望を見つけよう」などのキーワードがあり、「自分のカラを打ち破り前向きに歩いていこう」といった内容で、入学式にはピッタリの曲だった。この選曲は、若い職員がやってくれたのだろうが、そのことは私の知るところではなかった。
私は昨年度も数多くの生徒と関わっていて、その中にある地方都市に住む生徒がいた。有名中学に進学したものの体調を崩し、休んでしまったところ、ついていけなくなって不登校になってしまった。それからは先の見えない自分を責め続ける毎日が続いた。そんな彼の心を支え続けたのがミスチルだったという。他のアーティストは受け入れられず、唯一の彼の代弁者だったという。進路を考えなければいけない時期を迎え、とことん悩んだ結果、「親の決めた学校」ではなく自分で決めた学校を選択しようとした。それは、「自分が自分でなくなってしまうような気がした」からなのだろう。
この少年に会いたくなって私は、彼の元に何度も足を運んだ。これだけ自分を大事にし、筋を通す少年に会いたいと思ったからだ。それからの私は、会う直前まで、ミスチルの曲をカーステレオで聞く毎日となった。演歌一本の私にスピーディーなミスチルの歌は実に手ごわかった。ついてもいけなかったが、やっと何かを感じるようになっていった。
初めて会った彼はとても素直で純粋で、エネルギーをいっぱいためていた。私達はミスチルの話に花を咲かせ、ミスチルが私達をつないでくれた。
入学式の入場行進曲に「paddle(パドル)」を選んでくれたのは、このことを知った職員たちなのだが、この曲に大感激したというもう一人がいた。大相撲、北の湖部屋の北桜関だ。学園の様々な活動に共鳴してくれての参加だが、この入場行進曲には「びっくりした」という。「なんという選曲なのだろう。この学校はスゴイ!」と思ったという。この曲の持つ若者へのメッセージ、「悩みや「苦しみ、不安との闘いもあるけれど、とにかく前に向かって歩いてみよう」に嬉しくなったという。彼は現在三十二歳。決して若くはない関取、実は彼もミスチルの大ファンだという。
入学式のあと、北桜関は、「学校が見たい」といい学校にやってきた。見学のあとでこんな本音を語ってくれた。私達から見ると巨漢で、体力もあり、又毎日みなぎる気力とで怖いもの知らずに思える力士たちだが、実はそうではないというのだ。彼らの毎日は、不安と焦り、そして自分との闘いで心身ともストレスでギリギリの状態だというのだ。特に年間六場所もある本場所の前は体力づくりと稽古の毎日の中で、「こんなことで勝てるだろうか」と精神的なストレスで一杯だという。場所が始まったら始まったで勝ち負け一つずつに大きなストレスがついてまわるという。勝ったときはまだいいが、負けた時は、「明日も勝てないのではないか」と不安と焦りが大きくなっていくという。スポーツ選手に共通するものだろうが、毎日、毎月、毎場所続く自分との闘いに「こんなに辛く、苦しいものならこの世界から足を洗おう」と思ったことも何度もあるという。
そんな時、「あなたの相撲を見ていると、勇気づけられ、元気が出ます」というファンからのメッセージが届いたという。この時初めて彼は自分に目覚めたという。ただ自分のためだけの成績の向上と出世のために相撲を取っていた今までの自分。相撲を愛し、応援してくれるファンや、病気やケガなどの様々なことで悩み苦しむ人たちのために、私たちができることあがるのだと知って精神的にも強くなったという。
それからは、相撲のできることに感謝する意味もあって、天に向かって多量の塩をまくようになり、負けたときは土俵を叩いてその悔しさをぶつけ、勝った時には、その喜びをガッツポーズで表現するようになったという。これが現在の北桜の相撲スタイルとなり全国的な人気につながっている。
「国際学園は素晴らしい学校です。私も知り合いになれてとても嬉しいです。」と彼は言い、「どんなことでもできることは応援します。」と言ってくれた。若くない関取は最後にこう締めくくった。
「まだまだこれからです。私も可能性が残っている限り横綱を目指します。北の桜は”遅咲き”なんですよ。」
東京の桜はもうとっくに散っているが、青森の弘前や北海道は今が盛りだという。北の桜も人生の桜も慌てて咲かない”遅咲き”がまたいいのだ。 |