久し振りに映画館で映画を見た。井筒監督の「パッチギ」だ。たまたま予定がキャンセルになったその日に、「空いていませんか?」とお誘いを受けた。時間を輪切りにして、その間にまた新しい時間を詰め込むような毎日の中に、降ってわいたようなプライムタイム。感謝に多謝。ワクワクしながら渋谷に向かった。
舞台は1968年の京都。ヤワな日本人高校生が朝鮮高校の女生徒に恋をする。様々な壁を乗り越えて成就するというものだ。「ロミオとジュリエット」に「ウエストサイドストーリー」が重なってくるが、そんな単純なものでもない。朝鮮半島と日本と北朝鮮と韓国というダブルに交叉した民族の悲劇がベースに重く横たわる。日本は東京オリンピックも終わり、学生運動も少しかげりを見せはじめ、高度経済成長の大きなうねりがやって来はじめた時代だ。当時大学生だった私は、仲間とフォークのバンドの真似事もやり、学生運動の真似事もしながら毎日アルバイトにあけくれていた。青春時代の感傷に浸れるだろうとも思ったが、何とこの映画の中の高校生の熱いこと、そんなことは吹き飛ばされてしまった。
韓流ブームの真只中の今の日本の若者には民族の悲劇はなかなか理解できないかも知れない。祖国分断は第2次大戦の大きな悲劇だったが、東西ドイツはその象徴的なベルリンの壁が崩壊されて久しい。日本が分断される予定だったというアジアでは朝鮮半島がその悲劇を肩代わりする形となった。発売中止となったが、我々仲間の間で歌い継がれた「イムジン河」は北と南の間を流れている川の名前だ。その調べは1人1人の若者の心の中に残って消えない。この映画の全編にこの「イムジン河」が流れてくるが、ギターの調べを聞くだけで涙が出て止まらなくなる。
「今の日本の若者には打算の無い「熱き思い」が消えて来た。青春そのものが見えにくくなっている昨今、「パッチギ」に描かれる青春は実に不器用で熱くて、それでいて眩しい」とあるライターも書いている。今の純愛ものブームの中で、悲しいけどうれしくて、泣けるけど笑えて、粗暴だけれど温かい、といった要素はあるだろうか。
映画が終って明るくなると、チイマチョゴリの朝鮮女子高校生が前例に陣取っているのがわかった。井筒監督との一時間近いトークが行われたが、その女子生徒たちにこんな言葉がかけられた。「あんたたちはほとんどの日本のスポーツの大会に出れない。成人しても選挙権もない、官庁での出世も認められないんだよな」「それから、大阪のある区は3分の2が朝鮮の人たちなのに3分の1の日本人が選挙をやり、区を治めているんだよな」。そのあと監督の顔は客席に向けられた。「韓国を統治した日本は、60万人〜70万人の人たちを強制的に日本に連れて来たんだよ。彼らはどんな思いで日本で生きて来たか…。日本と朝鮮半島の間にも深くて遠いイムジン河があるんだよ。日本人はこのことを知り、受け止めなきゃいけないんだ。」監督の熱き思いが伝わった。
翌日、私は「イムジン河」のCDを手に入れた。認識を新たにしながらイムジン河を聞いた。こんな重い背景の中、井筒監督はなんて熱く楽しい映画を作ったのだろうと思う半面、「若い人に見て欲しいな」と思った。
◆卒業式
涙腺の弱くなった校長には卒業式は辛いものだ。「そう簡単には涙を流さないぞ」と踏んばっても1人1人の顔を眺めているだけで涙が涌いて来てしまう。様々な状況があってこの学校を選び、この日を迎えた子どもたち。ナイーブで素直で真面目すぎるぐらいの子どもたち。人との関わりが不器用で苦手な子どもたち。そうした子どもたちには現代は結構辛い社会であり、辛い学校生活だっただろうと思う。小中学校を通じて初めての卒業式という生徒もかなりいる。親も子も万感の思いが胸に迫ったことだろう。
式次第の進む中で、子どもたちの自分の言葉での送辞に答辞が圧巻だった。40名参加いただいた来賓は全員が泣いたと伝えてきた。「なんて感動的な卒業式だったのか。穏やかで、なごやかで、優しくて…。すさまじいことばかり見聞きする今の時代に、こんな世界があるのかと知りました。数多くの卒業式に参加する私が、この学園の素晴しさと良心を知りました」と、ある人はメールをくれた。別の来賓から数日後「感動を短歌にしました」と手紙が届いた。
☆挫折より 自立への日々 切々と
少女読み上ぐ 涙の答辞
☆挫折ありし 日々のりこえて 巣立つ子ら
ああ「栄光の架橋」謳う
次の日は卒業式に参加できない生徒の家に卒業証書を届けに行った。待っていてくれた生徒が、嬉しそうに「家庭内授与式」で証書を受け取ってくれた。手はガタガタと震えている。笑顔はこわばっているが喜びは“ズシリ”と伝わって来た。1人1人の違った思いの経過点としての卒業式。それで私はいいと思う。自分の家での卒業式。ここでも成長した姿はしっかり見てとれる。「卒業することの重さは、場所でも、年齢でも、長さでもない」
「ごくせん」のヤンクミも言う。「卒業することが大事なのだ」と。
あらためて言いたい。「卒業おめでとう。私たちに感動と思い出をありがとう」。 |