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2005年6月
“やさしさ”の再生
学園長 荒井裕司

◆電柱からの伝言
 しばらく前のことだ。私の家の近くで、奇妙なものを見つけた。電柱から出た太いボルトにしばりつけられた“伝言”だ。(写真参照)こうしたものにおめにかかることは珍しいので、家まで走って戻って、カメラで撮影してしまった。意味はだいたい分かる。帽子を落とした人がいて、その帽子を拾った人が警察に届けるまでもなく、メッセージを添えて、この電柱に託したにちがいない。しばらくの時間の経過のあと、落とし主が帽子を落としたことに気づき、あたりを捜しているうちに帽子を見つけた…。今の日本ならここでこのストーリーは終わる。ところがこの落とし主は拾ってくれた人の“やさしさ”に感動し、お礼の気持ちをこめて“礼状”をまた電柱に託したのだろう。この文字の書き方からすると、かなりの年配の人のようだ。礼状は自宅で筆で書かれ、電柱まで運ばれてきた。この2人のやりとりは、偶然通りがかった人にも、この“やさしさ”を伝えることになった。原始的で、モノクロ的なこの風景は、忘れかけていた日本の「やさしさの原風景」のように思えた。

◆秋田のやさしさ
 3月の終わりに、秋田の生徒の家を訪問した。夕方の5時について、7時には最終のこまちで帰途についた。東京は桜が満開だったが、秋田は雪の中だった。再度4月の終わりに訪問すると、桜はもう終わっていた。一ヶ月の間での大きな季節の変化。生徒の心も雪どけが終わり、うれしい春になっていた。一泊した次の日の朝、このまま帰るにはあまりにもったいないと“ミニ観光”をすることにした。その間に関わった人たちのやさしく親切なこと。そして笑顔のなんていい人たちだったのだろう。案内所のおねえさん、竿燈会館の皆さん、乗ったタクシーの運転手さん、そうそう、昨日はホテルが分からなくて尋ねた女子高校生は、ホテルの入り口まで案内してくれたっけ。

 気を良くした私はもう一つののぞみも叶えることにした。温泉での入浴だ。名湯が集まっているという田沢湖駅で降りて案内所で聞くと、地元の人たちだけしか行かない温泉がすぐそばにあるという。駅からバスに乗って十分。大沢温泉というその温泉は、温泉通と自負する私が感激するほど実にいい湯だった。それでいて地元の日帰り客がパラパラとしかいない。乳白色の熱い湯は硫黄の強い香りもあって、東京に戻ってもその匂いは消えないでいた。乳頭温泉やガンに効く黒川温泉という人気のある温泉行のバスが超満員だったのを思い出すと、「得をした」と思わずにはいられなかった。

 駅に戻ってまだ1時間程の待ち時間。腹をすかした私は駅近くの食堂に入った。カウンターに座りながら、「おいしい秋田の食べ物ください!」といったら、数人いた地元の人たちが声をかけてくれた。「今一番うめえのは、ハタハタだサ。油がのっでいで最高!食べてみな」そのあと、店主とおかみさんに向って「どうせ時間が無エんだろうサ。先に焼いた俺のさ、先にこの人に食べさせてやってけれ」という。「なんてやさしいのだろう」私はびっくりした。そしてそのハタハタの美味しかったこと…。

◆辛抱強さの意味するもの
 知人の娘は東京から北海道の大学を自ら希望して進んだという。北の大地に憧れ、楽しい学生生活を送って来たという。今春3年生になったが、この冬は東京の実家に泣きながら何度も何度も電話が入ったという。雪が多いこと、冬があまりにも長いこと、それが毎日毎日の生活を圧迫し、とうとう耐えきれなくなって、助けを求めたのだという。「雪国で生活するということが、こんなに大変なことだと思わなかった」と言ったという。想像を超えるプレッシャーは肉体ばかりか精神まで大きな痛手を与えた。その点、北国や雪国の人たちは辛抱強い。与えられた自然の条件の中で耐えること、がまんすることが身についている。耐えた先に「必ず春がやってくる」ことを支えにしているからだろう。それが、また人に対する優しさにつながっているのではないだろうか。

◆やさしさの再生
 現代の凶悪犯罪の増加や青少年犯罪の増加は異常といえる。青少年による殺人事件は、この5年間で40件にもなるという。誰もが「この日本はどうなってしまうのか」と思い、心ある人は「胸の痛みをこらえ、何とかしたい」と考える。

 機械的、機能的になったデジタル社会が人の心までも変えているのだろうか?日本人の本来持つやさしさはもう消えていってしまうのだろうか。辛抱強く、がまん強い北国の人たちからやさしさの原点を教えてもらい、また地域の小さな出来事から、私はやさしさの原風景を教えてもらった。再生はむずかしいことではなく、ちょっとした他人に対する「思いやり」や「感謝の気持」を持つことで可能になるように思えてならない。

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