◆知床からの電話
先日知床を旅行している大学時代の友人から電話がかかってきた。7月中旬、世界自然遺産となった知床だが、その一週間ほど前だから騒がれてもいない頃だ。
「おい荒井、今俺は知床の斜里に来ている。昔とあまりにも違うので、こんな所だったのかと、お前に確認したかったんだ」
仕事に追われ、奥さん孝行もできずにいた“罪ほろぼし”だという。
昔というのはもう35年も前になる。大学3年の夏、気の合った仲間と北海道を旅した。寝袋とテントを持っての2週間。野宿の毎日。当時はカニ旗と呼ばれた。上野からは青春十八キップの夜行列車、指定席ではなく、寝袋に入って通路で寝た。鉄路を走る車輪の振動が耳に響いていたことを思い出す。
1960年代の後半から70年代にかけて日本は迷走していた。急激な経済発展を成しとげつつあって、至る所にそのひずみが出ていた。学生たちは正義感に燃え学生運動するもの、ノンポリで見て見ぬふりをするもの、はたまた、休みの多いことをこれ幸いに遊び狂うものもいた。大きな時代の変化のうねりの中で無力感にさいなまれ、自分を見失う者も多かったが、そんな中で“自分探しの旅”や仲間同志で朝までのナマ激論を交わすことも流行のように行われた。バイトに明け暮れながらも芯は、明治維新の志士のような理想は忘れていなかった。
◆知床旅情♪♪
知床は北の果ての荒ぶる大自然の中にあった。海の高い波は青く、冷たく我々に向って来た。海岸線の断崖絶壁は、山の自然を守るために、“へなちょこ青二才”を相手ともせず行く手を拒んでいた。手付かずの大自然は、大きな魅力を感じさせながらも、人間の無気力さをこれでもかというように知らしめた。
行き場の無くなった我々は、海岸の石にロープを結びつけテントを張った。貧しい食料の補強にと投げ入れた釣り針の先には海藻がひっかかるだけ。見も知らぬ魚を釣り人に分けてもらい炭火に焼いて食べ、その味のすばらしかったこと。
夜になると、遠くから、歌が流れて来た。“飲んで騒いで、丘にのぼればァ、はるかクナシリに白夜は明ける”何ていい歌なんだろう。酔った我々はその歌の聞こえる方に歩みより教えてもらって酒を飲みながら晩中歌い続けた。
大学に戻っても歌い続け、ギターに合わせて弾いて、その余韻に浸った。“知床旅情”はその一年後に、全国で大ブレイクした。
私の友人はそんな昔の自分の原点を見極めたかったにちがいない。未来が見えず、不安と不透明さだらけの学生時代が、もがきながらも生きて行くスタート地点のように思えたにちがいない。
事業に成功し、多忙も極限状態にある今だからこそ、そこに戻りたかったのだろう。
◆さくら国際高等学校
この7月7日、内閣府から特区による高等学校「さくら国際高等学校」が認可された。
私たちが待ちに待った一瞬だった。文科省を頂点とする中央集権的な教育システムではなく、子どもたちや子どもたちのニーズを中心にした学校が必要なのだ、と言い続けて来た私達にとって、新しい時代の幕明けとも言える感動の日となった。日本の教育は「はじめに学校ありき」で、ハードを先に用意して、画一的に一方的に教育することが普通とされ、それが安心で一番良いことと信じて歩いて来てしまった。国のための教育ではなく、優れた感性を持つ子どもたちのための教育が必要とされているのに、それは二の次になってきた。学校そのもののシステムを変えていかないと、もっともっと日本の若者は羅針盤を狂わせてしまうだろう。
また教育を担うのは学校だけではなく、家庭や地域や社会全体の本腰を入れた協力が必要となる。幼児と若者そして老人が共生する居場所をつくることによって、子どもたちは人生の中の自分の居場所が客観的に分かってくる。家庭の協力と知恵の出し合いも必要になるのだ。
これが不登校やひきこもり、中途退学する子どもたちと関わり続け、試行錯誤を続けながら歩いて来た私達の出した結論だ。
◆私達は今どこにいるの?
現代人は毎日毎日の忙しさの中で自分を見失ってしまうことが多い。という私もその代表的な一人といえる。フッと空いた時間に前後をみてみる。これで大丈夫か?間違っていないのか?と。そんな短時間で正しい判断はできないから、まとまった時間を作り、じっくり眺めて判断したくなってくる。自分の歩いているのはどの辺りなのか、どこに居るのか知りたいのだ
社会参加することの第一歩が学校を卒業とするなら、学生時代は模索をする原点といえる。今どんな道をどのように歩いているのかを知りたくなって知床に行った気持ちはよく分かる。“鳥かん図”のように人生や社会の行く末さえも見えてしまうことができるなら、失敗もなく歩いていけるだろうが、それが無理なのだから、今私はどこにいるのか常に客観的に判断していきたくなる。
東京国際学園は十四年目を迎えた。不登校やひきこもり、LDなどの軽度発達障害の子どもたちに対応する先駆的な学校として実践をし、成果をあげ、全体的に注目されて来た。私達も精一杯の努力を続けて来た。情報も発信し続け、カウンセリングマインドを磨き、子どもたちの自立の支援をして来た。
“日本一の学校を目指そう”を合言葉にして来たが、まだまだそこには到達していないと思う。この新しい“さくら国際高等学校”の設立を機に、わたし達の原点をもう一度見つめ直し、今の私達がどこにいるのかをしっかり見極めたい。そうすることによって私達の未来もおぼろげながら見えてくるだろう。
新しいスタートに、夏の雲のようなエネルギーがもくもくと涌いている。
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