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2005年10月
無言ということ
学園長 荒井裕司

◆戦没画学生の美術館
 5年前の夏。私は長野県の上田市にある美術館に初めて足を運んだ。テレビやマスコミがこぞって紹介していたが、わざわざ行った訳ではない。旧盆で帰省したついでにふらっと立ち寄ってみた。18才まで過ごした故郷に、それはまだ無かった。だから知る由もなかったが、あまりの評判なので見ておく必要も感じたからだ。

 初めての美術館は真夏だというのに冷気が漂っていた。もちろんクーラーのそれとは違うものだ。それは不思議な世界だった。この美術館は、戦没画学生の遺作を集めた日本でも類を見ない美術館だ。絵は大好きだがお世辞にも絵心のある私ではないが、この美術館は衝撃的だった。「すすり泣きが聞こえる」という人もいる。私には「もっと生きたい」という思いが全ての作品から伝わって来るような気がした。この日を境に、この美術館が故郷にあることを誇りに思うようになった。それが仕事であろうが観光であろうが、訪ねて来る人を案内するようになった。

◆信州の鎌倉
 初めて見学して大きな衝撃を受けた私は、こんな美術館を作った人に会いたいと思った。私の悪いクセだ。人に会うことが大好きなのだ。「デッサン館という別の場所にある美術館にその人は居る」と聞いて、そちらに向った。山の中腹を横切るような道路は山の起伏に沿って登り下りの坂道になっている。この土地は、平安時代から栄え、荘園だった。それ以前も国分寺が置かれ、また鎌倉時代は特に栄え、本拠地鎌倉にも劣らない文化が花咲いた。国宝の三重塔は2つもあり、重要文化財も点在する。この美術館のある辺りは高台で居城があり、眺望もすばらしいところだ。遠く上越国境の山々が連なり、志賀や菅平の山々が続く。右方向には浅間山も視界に入ってくる。千曲川の流れに沿って、上田市の街並み、塩田平の大きな盆地がその手前に広がっている。栄えた文化を求めて、高僧が集まり、その高僧に教えを乞う若者が全国から集まり、学問の町となったという。この地が信州の鎌倉と言われ、信州の学海と言われる所以だ。

 このデッサン館が生まれてもう27年ほどになるという。その分館として生まれたのが、戦没画学生の美術館で、「無言館」だ。もう8年が経ったという。館長は、あの作家水上勉の息子で窪島誠一郎という人だ。今はマスコミからも多く取り上げられ、執筆活動や講演も多く、超多忙な毎日だという。「今日は居ると思いますよ」という青年の言葉に後押しされるように、最後の坂を登った。「相手がどんな偉い人だろうと、会いたい人には会いたい」自分の信念を確認しながら額の汗をふいた。

 デッサン館の手前に氏の経営する喫茶店があり、その奥で彼は日暮れて行く景色をボーっと眺めていた。遠くを眺めながら物思いにふけっているようだ。とても声をかけられる状況ではなかった。女の子に頼んだコーヒーを飲みながら、私も暮れ行く信州の夏の景色を眺めた。「夏は夕暮れ」枕草子の一節が思い浮かぶ。「あっ、そうか。今日は十五日だ」。終戦記念日だった。無言館にある絵を通して、青春の情熱をぶつけた彼らの無垢な思いを、今日は余計に強く感じているのだろうと想像した。

 暫くの静寂の後、立ち上がった彼に合わせて私も彼の前に行き、自己紹介した。「多くの見学者や観光客がこうしてやってくるのだろうな」と思いながら、私のこと、学校のことなど話をした。彼はうなずきながら、私の持っていた「無言館を訪ねて」の彼の著書にサインをしてくれた。終始無言だった彼は、最後に「荒井さん、いつかあなたのところの生徒と、ここで成人式やろうネ」と言ってくれた。「そうですネ。よろしくお願いします」とだけ言ってその場を離れ、彼も奥に入って行ってしまった。「次の機会にいろいろ相談しよう」そんな私の気持ちは、その後叶うことはなかった。

◆さくら国際高等学校
 5年後、さくら国際の名前が地方紙をにぎわした。これを見てか、知人を通じて、窪島氏から連絡が入って来た。「会いたい」という。あの5年前の出会いから私も幾度と訪ねたが、会うことはできなかった。9月の終わりに、彼の招待で、前山寺という名刹での薪能があった。大自然をバックに境内で行う能は実に感動的だった。主催者の彼は大勢の人の見送りをしながら、私達に「勇気をありがとう。近いうちにどうしても時間を取って下さい」と言って来た。

 10月20日。彼は学校を訪ねて来た。言葉は少ないが実が厚い。「私は荒井さんにずっと会いたいと思っていた。代々木にも何度も訪ねていこうと思った。でも、こうしてさくら国際高校として、このすばらしい土地にやって来てくれた。とてもうれしい。『メリットがあるかないか』をまず先に考える今時の人たちに言ってやりたい。大変なことを本当に一生懸命やっている荒井さん達に、全面的に協力したい。応援団長をやりたい」と言ってくれた。私と清川校長は、この大きな人の愛にすっぽり包まれていた。嬉しかった。

 あの時、初めて訪ねて以来、会うこともできなかった5年間だったが、心はずっとつながっていた。

◆無言の意味
 「『無言館』の名称がすばらしい」と言ったら、彼はこう言った。「戦没画学生達の遺作品だから、老いた人は、50数年前の記憶のフィルムをここに逆廻しして、昔を思う。戦争を知らない人も、現在世界で起きている戦争を考え、亡くなった人の気持ちを考える。若者たちは、時代は違っても同世代という視点で、戦争という歴史の中で生きてきた若者たちの姿を思う。みんな戦争を無くし、平和であることを願い、今の自分の幸せを感じているのです」

 「確かに彼らは『もっと絵を描きたい』『もっと生きたい』という思いでした。でも、彼らが絵を描いていたその瞬間の感動の対象は、故郷の青い空や緑濃い山々、家族の様子や素朴さ、恋人の顔や姿だったんです。そこには本当に無垢な気持ちが映っているんです。彼らは、『何故戦争が起こるのか?』『何故戦争に行かなければならないのか?』と思いながら描きつづけた絵として見てもらいたくはないでしょうね。精一杯の青春のぶつかり、喜びや感動が絵になっているんだと見てくれたら彼らはうれしいでしょうね。」と言った。私は思わずうなずいた。無言は多くのことを考えさせてくれる言葉だった。「無言館」は生きるエネルギーを一杯含んだ美術館なのだと感じた。

 さくら国際高等学校は、彼をはじめ政・戝界、学会・文化・芸能・スポーツ界、その他多くのリーダーたちが応援してくれている。日本を代表するようなすばらしい学校にして、みんなの想いに応えたい。みんなの誇りある母校にしたい。

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