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◆中国はどこまで変わったのか。
胡錦涛主席が来日し、4泊もして帰国した。修学旅行ほどの長さだ。来日して翌日に帰る首脳がほとんどだが、これは良かった。政治的な分野に言及するつもりはないが、北京オリンピックを目前にして経済成長する中国がどこまで変わったのかは知りたいところだ。私たちは中国とも関わりが深い。修学旅行にも行っていたし、中医やら西洋医大への留学、更に漢方などの交流も多い。5・6年前に行った中国の修学旅行。北京から天津までの車窓はゴミだらけだった。投げ捨てられたビニールや紙は片づけられることもなく、沿線に続いていた。郊外のトイレはどこも汚いが、天津の最大級のレストランのトイレもひどかった。汚れた使用済みのペーパーが床が見えない位に散乱していた。下見の時の「本隊が来るまでには必ずきれいに改善しておきます」の約束はホゴにされた。生徒たちもその現実を直視することになった。北京でNo.1というスーパーマーケットのトイレには参った。お腹の調子を悪くして私は駆け込んだ。個室に入ったら、何人か分の排泄物が積み重なっていて、エベレストの山のようになっていた。「これはイヤダヨ」と隣り、その隣りとまわったが全く同じだった。お尻につかないよう必死で用を足した。「自分の用が終わったら次の人のために流す」この常識は通用しない国なのだ。台湾も中国ほどではないにしろ、ゴミの不法投棄などが多い。日本はその方面での先進国といって誇ってもいいが、そのマナーも最近かなり悪くなっているようだ。
◆「神の手」ほんとは誰の手?
このGWで野球をTV観戦した。東京ドームでの白熱の巨人VS阪神戦だった。阪神がリードした終盤、巨人はラミレスの逆転弾がレフトスタンドに入った。ところが阪神ファンのグラブでたたき落され、ボールはグランドに落ちた。審議のうえ、ホームランは幻となった。その結果、二塁打で得点が入らず、巨人は敗れた。外野スタンドで野球を見たことのある人は知っていることと思う。敵のチームのホームランボールは、「もらってはいけない」のだ。打ち込まれたあと、そのボールをグランドに投げ返すのが一般的だ。別にもらってもいいのだが、他のファンが許さないから、仕方なく投げ込む。しかし、スタンドに飛び込んで来るボールをグラブやプレートなどではね返すと、これはホームランとならない。だからあの行為は“確信犯”なのだ。審判団もこの「外野スタンドの常識」を知っていれば、あの判定にはならないはずだ。もし仮に、前列に硬いボードを持った一団が陣取って、スタンド入りのホームランをはね返すことをしたらホームランは3割は減るだろう。野球の醍醐味も半減するはずだ。スポーツ新聞各紙は「神の手」とかっこよく書いたが「マナーの悪い確信犯の手」なのだ。私はスポーツが大好きで特に野球が好きだ。阪神の藤川に酔い、金本には敬服する。広島の前田やヤクルトの青木、中日の岩瀬に横浜の工藤や三浦に熱い視線を送る。本当のプロ野球ファンなら野球を見ることのできる環境にまず感謝したい。今まで私は東京ドームであるチームのファンの暴挙を度々目にして来た。グランドにメガフォンやラジカセやゴミを投げ込む。ファン同士の乱闘があったりする。それ以来そのチームとの試合だけは見に行かない。マナー先進国の日本は「武士道の精神」に負うところが多い。たかが野球なれど、「守るべきはきちんと守る」が実践されると、もっともっと野球は楽しくなるはずだ。
◆ある小学校長の嘆き。 小学校長の友人が尋ねて来てくれた。山の手の中学受験が7割を越える学校に赴任している。5年生、6年生のほとんどが塾に通い、中学受験のためにハードスケジュールをこなす。小学校は、音楽や美術やさまざまな体験や地域との交流などで学習面だけではない情操教育も大事な部分を担う。ところが現実は、それらは軽んじられ、それらの授業は休んだり、気もそぞろという。「何としても子どもたちに心の豊かさを育てたり、伝えたいと思ってもそれが叶わない」と嘆く。「いい中学に入り、いい大学に入ることが人生の幸せ」という価値観や方程式が主流を占めている現実では常識もマナーも遠い世界だという。「幸せの定義」はどうつけるのだろうか。「どんな大不況になっても、自らの足で大地を踏みしめて、自分の希望する仕事に就いて元気に楽しく生きること」と私は思う。自分だけのために食べ、生きていくことは不可能であり、他人のために何ができるかを考えて実践していくことが結局、自分が活かされることにつながるのだ。30年前、群馬の山中に墜落したJALの機内で、我が子に書いたメッセージは全て、「親の面倒を頼む」「元気で生きろ」「健康に注意して」の類(たぐい)だったという。「いい大学に入れ」「偏差値を上げろ」なんてメッセージは皆無なのだ。子どもたちの成長に最も大事なものを忘れてはならない。
◆孟母八遷〜若武者育つ〜。
今まで私が出会った生徒の中で学校を8回変えた生徒がいた。九州、四国、中国、東京などの学校を転々として、ここが8回目だった。私は思わずほめてやった。理想の学校を求めて親も子も必死に見えた。今は公務員としてバリバリ仕事をしている。孟母でさえ三遷だったのに八遷もした。そのエネルギーは社会人になってもフル回転しているという。
今春、国立大学の教員養成課程に入学したA君が訪ねて来た。「どうしても小学校の先生になりたいんです。」という。「子どもたちの成長の全てをほぼ一人でみることができるからです。そのためには私は、様々な勉強をしたいと思います。ラオスに行きたいし、青年海外協力隊にも参加したいと思います。音楽も美術もスポーツも前向きに何でもやろうと思います。」熱い思いをぶつけてくる若者に、前述の小学校の課題をぶつけてみる。「それは教師個人のレベルを高めることで、子どもたちに伝わるはずです。」と答えた。「武士道に通じる若者が着々と育っている。」私はキラキラするその眼を見つめた。
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