2年遅れての高校入学、それでも得たものは大きい。
「私の17歳」改め・・・『俺の17歳』ということで、オクタニの過去を辿ってみます。17歳といえば、本来ならば高校2年か3年であるが、その時すでに普通の人とは違う路線を歩んでいました。大阪で生まれ、小学校の時に両親が離婚、複雑な環境の中で小学校6年から中学2年までを施設で生活、中学3年で母親の元に戻り公立中学校に通いました。いざ進路となった時に周りの友人達が「皆行くから」と目的も無く高校に進学することに理解できず、担任の先生に『高校には目的が無いので行きません』と断言しました。自分は何がしたいのか、何が好きなのか考えた時、『そうだ車″だ』、そして自動車整備士になるべく道を選択しました。 親元を離れアルバイトをしながらの生活はとても充実していました。自分でやりたい事、決めた事、それを行える実感と喜びの毎日でした。マグロの解体・卸し業社の寮に入り、朝3時から7時まで仕事をして、その後整備士学校へ通い、その夜は習い事をしていました。その習い事とは10歳から始めた柔道です、柔道だけは続けていました。14歳で初段を取り、中学3年の時には大阪府の中学大会で優勝し、稽古していた警察署では、大阪府警柔道大会で中学生として唯一、一般の部で出場しました。 その頃の自分は確実に天狗(てんぐ)になってしまっていました。後に思い知らされるとは・・・
17歳になる年、友人が交通事故を起こし、その関係で1人の弁護士さんと出逢いました。その弁護士さんは足に障害があり、車椅子に乗った弁護士だったのです。色々話をする機会に恵まれ、とても考えさせられました。法律というものを学んでみたい、大学に行きたい、その為には高校を卒業しなければと、その時初めて高校に行きたいと思いました。
ちょうどその頃、高校に行きたいと話していたら、マグロの仕入れ関係者で東京ですし屋を経営している人から「東京に来ないか?うちで働いて勉強すればいい」と誘われました。整備士学校の方も資格取得のめどもつき、もう一つ柔道の本場講道館″で稽古したいという思いもあり、17歳になる年の秋にオートバイに乗り、少しの生活品と柔道着を持って1人東京に出てきました。世田谷の小田急線豪徳寺駅にある双葉寿司というお店にお世話になることになりました。住まいは経営者の住むアパートに居候させてもらい、12時から仕込み17時開店で零時閉店、来年の春に高校を受験する為に勉強の開始です。店に行く前の時間を使い、さらに週2日はすし屋の常連客が経営する近くの学習塾に通わせてもらいました。時間になると店を抜けて出前用のバイクで塾に行き勉強、一緒に勉強する中学3年生には奇妙だったようです。
そして週に1日の休みは迷わず、水道橋にある講道館へ柔道の稽古に通いました。初めて行った時、自分は強いという思い上がりをものの見事に崩されました。みんな強い、とことん投げられました!! これが、その後の自分を大きく変えたと思います。後で相手をしてもらったのが世田谷学園の柔道部員だと知りました・・・。 その年、東京での初めての冬に17歳を迎えました。
そして春を迎え、受験を1ヵ月後に控えた頃、お世話になっているすし屋が店を閉鎖することになってしまいました。その後も色々ありましたが、無事に高校に入学することができました。17歳の春、2年遅れての入学式、高校生活の始まりです。みんなよりも2年遅れているけれど、この2年間で経験して得たものに比べれば、ちっぽけな事だと確信できる17歳でした。長々と自分の思うままに書いてしまいましたが、もしもまた機会があれば、高校入学後の17歳を書いてみたいと思います。有難うございました。
次回は、東京国際学園の教員の姿をしているが走るとカッパになったりゴールドマンに変身する男、シンカイ先生にお願いします。
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